上尾カナデ歯科マウス&ピース矯正歯科(公式)
上尾のマウスピース矯正認定医
診療時間 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 祝 |
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9:00-13:00 | ○ | ○ | ○ | × | ◯ | ○ | × | × |
14:00-18:30 | ○ | ○ | ○ | × | ◯ | ○ | × | × |
×:休診 ※祝日のある週は木曜日診療有り。最終受付30分前
こんにちは!
上尾カナデ歯科・マウス&ピース矯正歯科、院長の高井です。
私たちの医院理念は「患者さまの不安を安心に!」スタッフみんなで患者さまに安心を提供できるよう工夫をしております。説明も小学生が聞いても理解できるようなわかりやすい説明を心がけています。
現代の日本では、成人の日本国民約80%が歯周病にかかっていると言われています。そして多くの場合、腫れや痛みが出る40歳前後になってようやく歯科医院に訪れますが、そのときにはすでに手遅れという場合も少なくありません。
そんなことにならないためにぜひ受けて頂きたいのが、歯科医院での定期的な予防処置です。適切なケアをしていくことで、大切な歯を長持ちさせることができます。虫歯予防は0歳から、歯周病予防は18歳から始めると効果的でしょう。
当院では、虫歯や歯周病を予防するだけでなく、歯並びや歯ぎしりなどの治療も行っており、総合的にお口の環境を整えて、患者様の健康をお守りしていきます。
皆様に歯を失って後悔してほしくない…そんな思いで、健康維持のお手伝いに精一杯取り組んでいます。お悩みがございましたら、些細なことでもお気軽にご相談ください。
2014年ハーバード大学医学部で歯周病とインプラントについて講演
医学部に落ちて、医療系で自分にマッチする分野は歯科だと考えたから。
手先だけは昔から器用だったので、医療業界の中でミクロな外科領域の歯科は、僕にはちょうどよかったから。
さびしかった幼少期の経験からくる、根源的に誰かに必要とされたかったから。
自分に自信をつけたいという気持ちも作用していると思います。
母親がわりの祖母からは医者になりなさいとよく言われていました。
しかし
極度のマイナス思考と、コミュ障だった僕にとって
勉強とはとても苦手なものでした。
小学生の頃から勉強ができる同い歳の親戚と比較され、劣等感を持っていました。
高校受験は当然失敗です。
高校の偏差値は38で、その高校で下から2番目の成績でした。
そして、高校の卒業追試に落ちてしまいました。
幸いにも、担任の先生の温情で学校の校庭の草むしりをして卒業させてもらいました。
数年後その担任の先生に会いにいきました。
草むしりで卒業させてもらった当時のお礼を言うと、その当時育ての親の祖父が先生の好きなお酒を差し入れていたことを教えてくれました。
胸が熱くなりました。
その後バカだった僕でしたが本気で努力をはじめました。
とにかく勉強ばかりしました。
国立の医学部を目指しましたが、全然合格できません。
結局働きながら4浪しました。
3浪以降は合格率は10%を下回ります。
最後にやっと歯学部に合格しましたが、納得がいきません。
歯医者となり2014年2月にアメリカのハーバード大学医学部で発表するという
チャレンジをしました。
日本の大学教授と同じ土壌で発表しました。
30人の日本の歯科医師達の中で英語で発表したのは僕ともう一人だけでした。
この時やっと学歴コンプレックスから解放された。
挑戦し続けてよかった。
本気で勉強し続けて22年。
「継続は力なり」ってのは本当だ。
スイミング、ランニング、読書、歌うこと、お笑い(2004年M-1グランプリ予選出場)
ワンピース(ネフェルタリ・コブラ)
【最高の人生の見つけ方】
【ショーシャンクの空に】
【マネーボール】
【クリスマスキャロル】
【グレイテスト・ショーマン】
〔以下好きなセリフ集〕
<自分の死際に受ける2つの質問>
・「人生に喜びを見つけましたか?」
・「他者に喜びを与えましたか?」
・「あなたは問題を解決なんてしていない。問題を見てさえいない。」
・「あなたの人生の目的は、自己と他者を比較してより良い人生を送るため?それとも自分なりに納得できる時間の使い方を選択すること?」
・「彼が与えた幸せは1000ポンドの価値がある。ちょっとしたことだが。」
・「希望はいいものだ」(希望は自分自身が捨てなければ誰にも奪えない)
・「大切な人に苦労をかけた。僕が成功を求めすぎたから。」
家族はみんな仕事で家を開けていたのでいわゆる鍵っ子でした。両親は3歳のときに離婚していたので母はいませんでした。家に帰っても誰もいないので結構心細かったのを覚えています。同居していた祖母が母親代わりで仕事が終わると、そんな僕をよく気にかけてくれました。遠く離れた国のごはんが食べられない貧しい子供を想い寄付をするやさしい祖母でした。
東京の歯科大学へは祖母が孫の学費のためと貯金してくれていたお金で通わせてもらいました。
上京し大学1年の時にのちに7年付き合う彼女ができました。母子家庭で苦労した彼女でしたが、自分が辛い時も他者の幸せを願えるすばらしい人でした。お互いに明るい家庭に憧れていました。子煩悩な彼女で、その影響で僕もすぐに子供好きになりました。
研修医の時、アルバイトに行く途中祖父から祖母の危篤の知らせがあり、そのまま飛行機で山口県の介護病院にかけこみました。もうすでに意識はほとんどない状態の祖母の手をにぎったまま、1時間くらい一方的な呼びかけをしましたが、祖母の脈がどんどん弱くなっていくのがわかり、「脈が・・・、脈が・・・」と言っているあいだに祖母は逝きました。
それから祖父は一人で寂しい状況だったので、たまには祖父に会いに山口県に帰るようになりました。東京池袋の有名インプラント専門病院で勤務していましたが、故郷の山口県で勤務医をしようか考えました。その後祖父が父と同居することになり孫達に囲まれて元気を取り戻したので自己研鑽のために東京で勤務を続けることにしました。
その1年後祖父の危篤の知らせが突然きました。それまでとても元気だったのですが、いきつけの整形外科病院での院内感染でした。院内感染だと薬が効いてくれません。担当医からは僕たち家族への説明がほとんどなく、家族全員が不安でした。そうこうするうちに腹水がたまり、胸水までたまり「延命処置を希望しない」との同意書まで書くことになりました。
このとき祖父は「いい人生だったと思う。でもまだ生きたい。」僕にそう言ったので感染症の医学書を読みあさり、抗菌薬の権威である米国感染症専門医をもつ当時自治医科大学准教授にセカンドオピニオンをお願いしました。そこでのアドバイス通りに担当医に投薬してもらい、祖父は奇跡的に回復し、現在も自分の足で歩けています。医療人として初めて親孝行できたと思いました。本当の親孝行は足繁く孫の顔を見せに行くことでしょうが。
開業地については埼玉県か故郷の山口県に開業するかでかなり悩みました。埼玉と山口で同時に探し始めて1年くらいかかりました。こればかりはタイミングと縁で、結局埼玉県に決めました。埼玉県は子供が多そうというのもあってこの地に骨を埋める覚悟で開業しました。
開業して一ヶ月が経ちましたが、すばらしい勉強仲間たちに支えられ充実した日々をすごせています。
祖母も歯科医師でしたがストイックに働く人でした。当時3時間睡眠で歯科技工も自分でやる仕事ぶりでした。僕は祖母にもらった恩をほとんど返せなかったので一生後悔するでしょうが、祖母も好きだった子供たちのために社会貢献することで、祖母からもらった恩を地域の子供たちに返すことが自分の救いになると考えています。今は子供たちの笑顔がなによりの癒しとなっています。
最近勉強仲間からとても良い言葉をもらいました。
「感謝の反対は当たり前」
ものすごく心に響く表現でした。
これから一緒に働くスタッフさんたち、周りの人たちに常に感謝の心を忘れずに接していかねばと改めて気づかせてもらいました。
<診療時間>
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午後 14:00~18:30
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※13:00~14:00 休診(電話不通)
休診日:木曜日、日曜日、祝日
※祝日がある週は木曜日振替診療有り